明治の皇室典範では、即位礼と大嘗祭は「京都」で行われるべき事が、
明文で規定されていた(第11条)。
何故このような規定になったのか。
伊藤博文名義の『皇室典範義解』に以下のように説明していた。「(明治)13年車駕(しゃが、天皇の行幸の際のお車)
京都に駐(と)まる。
旧都の荒廃を嘆惜(たんせき)したまひ、後の大礼(即位礼と大嘗祭)
を行ふ者は宜しくこの地に於(おい)てすべしとの旨あり。
…本条に京都に於て即位の礼および大嘗祭を行ふことを定むるは、
大礼を重んじ、遺訓をツツシみ、また本(もと)を忘れざるの意を明
(あきらか)にするなり」と。明治天皇は京都でお生まれになり、京都でお育ちになり、
ご自身の即位礼も京都でお挙げになった(但し大嘗祭は東京)。
京都に対する強い愛着をお持ちだったのは当然だ。
その京都が、事実上の遷都の後、今やすっかり「荒廃」しているのを
目(ま)の当たりにされれば、その回復を願われるのは極めて自然な
ご心情であろう。しかし一方、京都での挙行を“条文”化した理由として
「大礼を重んじ…」と述べているのは、抽象的で漠然としており、
普遍性のある説明にはなっていない。
即位礼・大嘗祭は、その皇位継承儀礼としての重大さに鑑みて、
国の中心地=首都で行われるべきなのは、理の当然だ。
しかも歴史上、実際にそのように行われて来た。
即位礼・大嘗祭は首都で行うのが「伝統」だった。
だから、東京が首都である時代には、東京で行うのが
「大礼を重んじ…本を忘れざる意を明にする」事になるはずだ。
明治天皇のご意図は、「旧都」である京都を「荒廃」させてはならない、
という点こそが主眼であったろう。
だから、この度の大嘗祭で主基(すき)地方に京都が選ばれた事も、
そのお気持ちに沿ったものと言えるだろう。【高森明勅公式サイト】
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